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この両地の運命は厳しいものでした。1918年から1920年にかけて、両地はソフホーズ(ソヴィエトの国営農場)となり、建物も庭園も手入れがされませんでした。
ヴェチャシャの所有者は追い出されてしまいました。この地の建物はすべて木造でしたが、ほとんど取り壊されてしまいました。唯一、リムスキー=コルサコフが音楽を作曲した母屋のみが残りました。しかし庭園は古い樹木ともどもひどくダメージを受けました。
リムスキー=コルサコフの遺族もまたリュベンスクを手放すことを強要されました。ソフホーズはその必要性から建物や庭園、りんごの果樹園を使用しましたが、それらを適切に維持しませんでした。1941年から1945年にかけての戦争の末期には、リュベンスクにとって最悪の事態が起きました。すべての木造家屋が焼き尽くされたのです。
こうした悲惨な事態にも関わらず、この屋敷全体を詳細に復元することは可能でした。というのは、リュベンスクに関連する100点以上の写真とその他の資料を遺族が保管していたからです。
ヴェチャシャの庭園の復元は1967年に始まりました。リュベンスクの復元のための設計は1980年に着手されました。リュベンスクとヴェチャシャの母屋の再建・改修工事は1986年に始まりました。その後、馬小屋(セミョンナヤと呼ばれる小さな建物)がリュベンスク地区に再建され、また、この地区の庭園の復元が開始されました。
これらの結果、1995年にはこの記念保存地区を訪問者に公開することが可能となりました。
しかしリュベンスクの復元はまだ完了していません。リムスキー=コルサコフの名に関係する建造物などだけでなく、この屋敷・庭園全体を復元することがとても重要なのです。ここは、19世紀ロシアの地味な田舎屋敷の典型的なサンプルなのです。その庭園を復元するためには多くの作業が必要です。温室や資料保管のための倉庫(以前は小邸宅だったもの)を復元しなければなりません。氷室も復元する必要があります。
しかし、最優先で行わなければならないのは「ダーチャ」と呼ばれるもうひとつの木造家屋を再建することなのです。
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